セックスは不真面目で能天気か:毎日新聞

『心臓移植成功の京大ちゃん 「救う会」代表が父親脅す』


 11月2日の毎日新聞の記事だ。


 『難病男児のための募金活動を巡り、男児の父親に暴行し現金を脅し取ろうとしたとして千葉県●署は1日、「けいた君を救う会」代表で同県●、自動車板金工場経営、水沢●容疑者を傷害と恐喝未遂の疑いで逮捕した』という。
 心臓病を抱え1億円にのぼる募金によって昨年に米国で手術に成功した松田京大(けいた)君の父親を、水沢さんは『自宅工場に呼び出し、押し倒すなどして左腕打撲の軽症を負わせ、木刀で脅して現金800万円を要求した』というのだが、その発端となった理由が興味をひく。


 というのも、京大君の手術費用の募金活動を行ってきた水沢さんは、『(京大君の手術後に)松田さんの妻の第2子妊娠が分かったことを「活動に真剣味がない」と受け止め』たからだというのだ。
 同じく事件を伝えた読売新聞でも、水沢さんは、『第2子ができたと聞き、自分たちが一生懸命活動してきたのに能天気だと腹が立った』と供述している。
 「第2子ができたと聞き〜」が罪を軽減させるための「言い訳」だとしても、とっさに出るような弁明ではなく、相当の「理由」として信じることができるだろう。


 となると、水沢さんが、第2子の妊娠、すなわち難病の子をかかえた夫婦のセックスを「不真面目」あるいは「能天気」と考えてしまったのはどうしてなんだろうか。
 そこに、当人のセックス観が色濃く投影されていると考えるべきなのか、性に対して負のレッテルを貼ってきた近代日本の社会性が露見したと見るべきなのか、それはわたしには分からない。


 が、たぶん、余計なことだが水沢さんは、決して「いいセックス」を日常的に、あるいは経験的に体験してこなかったのではないだろうか(「いいセックス」という大雑把な言葉は適切でないかもしれないが、あえて定義すれば、「結合するよろこびが得られること」だろうか。男性側からの偏頗な定義だけど)。


 たいへん失礼な推測かもしれないが、とても気になることである。
 なぜなら、ひとり水沢さんの問題ではないと思うからだ。

腑に落ちる?:読売新聞

(突然の復活です。これからもよろしく)


『ガソリン150円時代』


11月1日、読売新聞の夕刊だ。


 『全国各地のガソリンスタンドで1日、ガソリンや灯油など石油製品の店頭価格が大幅に値上がりし、首都圏では、看板でレギュラーガソリン1リットル=150円を超す価格を掲げるガソリンスタンドが次々と登場した』というもので、全国平均の店頭価格でも、『8月に記録した過去最高を月内に更新するのは確実だ』とのこと。


 そして、この1面の記事の隣には、こんな記事が同等のサイズで掲載されている。
 『NY原油急騰96ドル台』との見出しで、『ニューヨーク商業取引所の原油先物相場が10月31日、米追加利下げなどを受けて急騰し、史上初めて1バレル=96ドル台をつけた』と伝えている。
 なるほど、ガソリンの価格が上がっているのは、原油が高くなっているからかとも思うが、なんだか腑に落ちない。


 というのも、原油価格は、この5年でほぼ5倍になっているのに、ガソリン価格は、1.5倍にしかなっていないからだ。
 米軍がイラクを攻撃する1年前の2002年3月の原油価格は、1バレル=20.4ドル。現在は、その約5倍。しかし、02年3月のガソリンの平均価格は100円で、この間に1.5倍ほどにしかなっていない。
 ガソリン1リットルには、50円以上の課税がされているそうなので、その分を差し引いても、ほぼ2倍にしかなっていない計算だ。


 ということは、5年前まではガソリン会社などがすごく儲けていたのか、あるいは近い将来にガソリン価格は1リットル=300円になるのだろうか。
 原油はあくまでもガソリンの原材料だから、原材料価格の値上がり幅と同じ比率で小売価格が変動するわけではないのだろうけれど、なんだか腑に落ちない。。。

「同じ」なのか:東京新聞

『黒人オバマ候補 「同胞」に不人気?』


 東京新聞、8月19日の記事だ。


 『「彼は十分に黒人と言えるのか」。2008年次期米大統領選挙の民主党有力候補のオバマ上院議員(48)に対し、こんな議論が飛び出し、黒人層への支持拡大の障害になっている』という。


 建国初の黒人大統領となる可能性があるオバマ氏が「疑惑の目」で見られているのは、その祖先が奴隷ではないからだという。
 オバマ氏の父親はケニア出身で、1953年にハワイ州に留学し、その後、米国籍を取得した。母親はカンザス州出身の白人だ』そうで、『「黒人差別の歴史」を共有していない』と黒人社会に認識されているのだとか。
 だから、オバマ氏は、『「あなたは黒人といえるのか」という質問』を受けるし、それに対して、妻のミッチェルさんは、『「誰もが黒人かどうかという質問で遊んでいる。こんなバカなことはやめてほしい」と訴え』るそうだ。


 にわかに信じがたい話だが、黒人小説家、バーバラ・ニーリイのミステリー「ゆがんだ浜辺」(早川書房)を読んでいれば、黒人同士が肌の濃さや出自で差別しあうということは、米国の黒人社会ではごく一般的なことのようだということが分かる。


 記事は、『同国の黒人社会は同じ肌の色を持つオバマ氏を全面的に支持しているわけではない』と書くが、オバマ氏の母親は白人であり、そもそも”カフェオレ色”のオバマ氏を、「同じ肌の色」と認識しているのは、ほんの一部の「漂白された」黒人だけなのが現実かもしれない。

奴隷根性:日経新聞

『「どういう国か」考える』


 日経新聞、8月1日の「旅の途中」という複数著者による連載コラムにおいて、内田樹さんが書いた一文だ。


 『あまりに深く骨肉に入り込んでいるせいで意識化されないことがある。日本が属国であるというのもその1つである。』という書き出しで始まるコラムは、紀元1世紀から2000年にわたって日本は、現在の中国に勃興した各帝国の、あるいは米国の、『東西の強国の(形式的なまたは事実上の)属国として生きてきたのである。』として、『その事実が日本人のメンタリティにまったく影響していないという判断に私は与しない。』とする。


 そもそも、日本という国名自体が属国的であるとも。
 『「日の本」とは「昇る朝日の下にある地」の意味である。小学生の理科の知識があれば、日本列島に昇る「朝日」を見ることできるのは中国大陸からだということはわかるはずである。「日本」というのは「中国の東にある国」という名乗りなのである。』と。
 これら、「属国人」であることを認識する作業は、『私たちが「属国人であることに気づいていない属国人」というぱっとしないステイタスから逃れ出るために』何よりも必要なことだと訴える。


 その主張は、決して目新しいような、あるいは目を剥くような主張ではないと思う。
 歴史をひもとかなくとも、外国軍の基地を置き、その兵隊と家族のために、毎年4000億円もの税金を差し出す「独立国」が、いったいどこにあるだろうか(いや、ない)。


 だが、問題は、このコラム掲載にあたっての日経新聞の姿勢だ。
 そのことが、内田さんのブログで明かされている。
 「内容が断定的すぎる」との理由で日経新聞から再三書き直しを要求されたため、これを最後に連載を打ち切るという内容だ。


 内田さんは、かのコラムで、こうも書いている。
 『奴隷がおのれの境涯を苦しむ限り、その人は奴隷ではあっても奴隷根性の持ち主ではない。自分が奴隷であることを忘れ、その身の上を楽しむ気性を奴隷根性と呼ぶのである。』と。


 日経新聞の社員は、このメッセージを誰のこととして読んだであろうか。

旗色鮮明:産経新聞

『小田実さん死去』


 産経新聞、7月31日の記事だ。


 『「ベトナムに平和を!市民連合(ベ平連)」元代表で市民運動をリードし、旅行記「何でも見てやろう」などで知られる作家、小田実(おだ・まこと)さんが30日午前2時5分、胃がんのため東京都内の病院で死去した。75歳。』との訃報記事が、参院選の結果に埋もれるように掲載された。
 各紙とも、ベ平連がはたした役割や、1995年の阪神淡路大震災後の生活再建支援法制定に小田さんが尽力したことなどをほぼ肯定的に報じている。


 その中で、『半面、ベトナム全土の共産化を現在に至るまで「解放」と呼び続けたことや、日本の戦争責任などに関する過剰に自虐的な歴史観に対して批判も少なくなかった』と論評した産経は、独自色を鮮明にしているともいえる。
 ただ、文字通り「死人に口なし」の人物に向かって論争を挑むかのような書きようは、池乃めだか風で、かっこ悪いことではあるけれど。


 ちなみに、『今春、末期がんであることが分かり、知人らにあてた手紙で病状を明らかにしていた』と、さも知人以外には公表されていなかったかの印象を与えるが(朝日新聞にもほぼ同様の記述があった)、東京新聞においては、その知人のひとり瀬戸内寂聴さんが、早くから病状を明らかにしていたことを付記しておきたい。

黙るしかない:朝日新聞

『イラク初V』


 7月30日、自民党参院選で歴史的な敗北を喫した翌日の朝日新聞だ。


 『東南アジア4カ国で共催されたサッカー・アジアカップ決勝が29日に行われ、イラクがサウジアラビアを1−0で破り、初優勝を遂げた』というもので、本当に素晴らしい快挙だといえるだろう。


 だけど。
 同紙の中小路記者のリポートは、その熱気を差し引いても、いかがなものか? と首をかしげざるを得ないものだ。
 いわく。
 『これほど危なげない守備は、あまり見たことがない』『徹底的なカバーリングで、日本がやられたサウジアラビアを完全に封じた』イラク守備陣の集中力をほめているのだが、そのがんばりの理由を、『命がとられるわけでもない少々の辛抱は、何でもないと言わんばかり』と想像力をたくましくしているのは、筆がすべったですまされるのだろうか。


 さらには、『そして、後半28分。必殺のカウンターで得たCKから、ユーニスが頭で決めた』との形容は、「見事なカウンター」でいいのではないのか。


 準決勝の日にバグダッドであった自爆テロで我が子を亡くした母親が、「この命は代表にささげた」と言ったそうだが、これを聞いて得点を決めたユーニスは、「勝たないわけにいかないだろう?」と言ったという。
 そして、中小路記者は、『ユーニスの言葉の重さには、ただ黙るしかない』と締めくくる。


 ならば、その言葉通りに、ちょっと黙っているべきではないか。少なくとも、慎重に言葉を選ぶべきではなかったろうか。

俺もお前も:毎日新聞

(特段の理由もなく、ずいぶん間が開いてしまった…)


『あっ、万景峰号写ってた』


 7月27日の毎日新聞の記事だ。


 『来年9月に新潟市で開かれる「第28回全国豊かな海づくり大会」に向け、新潟県などで構成する新潟実行委員会が作った大会PR用冊子の表紙に、北朝鮮の貨客船「万景峰(マンギョンボン)」号とみられる船が海をいく写真が使われていることが26日分かった』として、3000部作成した『冊子を回収し、在庫を廃棄する方針』だという。


 その理由として、『実行委員会は「拉致被害者やご家族、関係者らに不快の念を抱かせ、おわびしたい」と話し』ているそうだが、ある船が写っているという理由だけで冊子が廃棄されることに不快の念を抱く関係者がいないのか、という想像力は持ち合わせていないらしい。
 しかも、この冊子の表紙には、『「生きている 生かされている この海に」の大会テーマが書かれて』いるとのこと。


 ぜひとも、冊子の回収・廃棄を決定した「海の男」たちには、この言葉をかみしめてもらいたい。
 「生きている 生かされている この海に」。。。