奴隷根性:日経新聞

『「どういう国か」考える』


 日経新聞、8月1日の「旅の途中」という複数著者による連載コラムにおいて、内田樹さんが書いた一文だ。


 『あまりに深く骨肉に入り込んでいるせいで意識化されないことがある。日本が属国であるというのもその1つである。』という書き出しで始まるコラムは、紀元1世紀から2000年にわたって日本は、現在の中国に勃興した各帝国の、あるいは米国の、『東西の強国の(形式的なまたは事実上の)属国として生きてきたのである。』として、『その事実が日本人のメンタリティにまったく影響していないという判断に私は与しない。』とする。


 そもそも、日本という国名自体が属国的であるとも。
 『「日の本」とは「昇る朝日の下にある地」の意味である。小学生の理科の知識があれば、日本列島に昇る「朝日」を見ることできるのは中国大陸からだということはわかるはずである。「日本」というのは「中国の東にある国」という名乗りなのである。』と。
 これら、「属国人」であることを認識する作業は、『私たちが「属国人であることに気づいていない属国人」というぱっとしないステイタスから逃れ出るために』何よりも必要なことだと訴える。


 その主張は、決して目新しいような、あるいは目を剥くような主張ではないと思う。
 歴史をひもとかなくとも、外国軍の基地を置き、その兵隊と家族のために、毎年4000億円もの税金を差し出す「独立国」が、いったいどこにあるだろうか(いや、ない)。


 だが、問題は、このコラム掲載にあたっての日経新聞の姿勢だ。
 そのことが、内田さんのブログで明かされている。
 「内容が断定的すぎる」との理由で日経新聞から再三書き直しを要求されたため、これを最後に連載を打ち切るという内容だ。


 内田さんは、かのコラムで、こうも書いている。
 『奴隷がおのれの境涯を苦しむ限り、その人は奴隷ではあっても奴隷根性の持ち主ではない。自分が奴隷であることを忘れ、その身の上を楽しむ気性を奴隷根性と呼ぶのである。』と。


 日経新聞の社員は、このメッセージを誰のこととして読んだであろうか。