多数派:東京新聞

『強制で愛国心育たない』


 6月19日、東京新聞の夕刊だ。


 その翌日に、都立高校の卒業式などで「君が代」斉唱時に起立しなかったために処分を受け、その後の再雇用を拒否されたのは違憲だとする元教員10人に対し、東京地裁が都の主張を認めて合憲とする判決をだした。
 この記事は、その原告のひとり、近藤光男さん(63)を紹介したものだ。
 裁判の性格から、「君が代」の強制はいかん、そもそも愛国心を育てるな、そんな主張かと思ったら、ずいぶんと様子の違う記事だった。


 都立高校の保健体育の先生だった近藤さんは、2004年3月に、『校長室で都教育庁の職員から定年後の再雇用の取り消しを言い渡され』る。
 一週間前の卒業式で「君が代」斉唱時に起立せず、戒告処分を受けたことがその理由だとされた。


 武道家でもある近藤さんは、もともとは『学校行事や大会では大声で君が代を歌ってきた』のだという。『戦争責任は政治家や軍部にある。利用された日の丸、君が代に罪はない』との理由からだ。
 ところが、2003年に東京都教育委員会は、教員らに職務命令として君が代を歌うようにと通達。この一枚の紙切れが、近藤さんの逆鱗に触れる。『処分をちらつかせて歌うことを強制しても、愛国心は育たない』と。
 そして、近藤さんは、『校長に異議を唱えたが聞き入れられず、斉唱時に起立しないことで反対の意思表示をした。』というのだ。


 骨のある人だ(あるいは「バカ正直」というか)。
 そして、問題は、こういった先生を「仲間」に取り込むことができず、一律に罰する教育委員会の官僚的な姿勢にあるのではないだろうか。


 近藤さんが実質上のクビを宣言された半年後、東京都教育委員の米長邦男は、天皇主催の園遊会に招かれ、「日本中の学校で国歌を歌わせるのが私の責務です」と宣言。天皇から「強制でないのが望ましい」と釘をさされ、「もちろん、それは、もう」と、しどろもどろになっていた。
 「それは、もう」の行間には、「強圧的な姿勢によって『敵』を分断し、つつがなく統治するための策略を練っておりますゆえ、ご安心を」といった意味はまったく含まれていなかったのだろう。「味方」が「敵」と連帯してしまった。。。


 『たとえ少数意見でも、正しいと思う価値観を言い続けなければいけない』と近藤さんは話しているそうだが、「行政は、強制ではなく、愛国心を醸成するための知恵をしぼり汗を流せ」という意見は、決して少数派ではないのではないだろうか。