可視化:毎日新聞

『本社記者「録音」渡す ネットへ流出』


 毎日新聞、2月24日の一面記事だ。


 『毎日新聞東京本社記者が、取材内容を記録したICレコーダーを外部の取材協力者に渡し、その音声データを基にしたとみられるメモがインターネットのブログに掲載されていたことが分かった』というもので、『毎日新聞社は23日、記者の倫理に反する行為として関係者に謝罪』し、他紙も大きく報じた。


 毎日は社会面で、『記者倫理に反する行為』と大見出しを掲げ、記者会見で頭を下げる同社幹部の写真を掲載している。
 さらに、『言語道断だ。記者のやったことは信じがたく、同業者として気がめいってくる』とのコメント(大谷昭宏さん談)を掲載した産経新聞をはじめ、他紙はいっせいに批判をしている。
 が、本当のところ、そんなに悪いことなんだろうか。


 正反対の視点だが、同じく毎日新聞が、この年始に連続して掲載した「ネット君臨」という特集記事については、こんな論調がある。
 「ネット君臨」で考える取材の可視化問題


 これは、CNETというネット新聞にジャーナリストの佐々木俊尚さんが寄稿したもので、ある男性が毎日新聞の別の記者から取材を受けたものの、自分の意図とまったく違った書き方をされたと憤り、取材を受けた経緯をネットで公開したことを取り上げた記事だ。
 これら、被取材者からの「反乱」に対して、毎日新聞の花谷寿人デスクは、こうコメントしたという。
 『相手が取材された内容を、直後にブログの日記やネットの掲示板に書き込む。新聞記者のかつての取材は1対1の関係だった。それが大きく変わり、記者個人の名前や取材の仕方が不特定多数の人々にさらされる。メディアもそういう時代を迎えたことを思い知らされた。記者は名刺を出すことさえ、ためらうこともある』と。
 なにかを連想しませんか?


 わたしが思い浮かべたのは、警察による容疑者への取り調べが密室で行われていることだ。そして、それに対する批判として、捜査の「可視化」が迫られていることだった。
 お門違い?
 だと思う人は、それでいいのだが。


 1対1の関係だから、「書いた者勝ち」になるのは、新聞記者による記事も、捜査官による調書と本質的には変わりがないのではなかろうか。
 完全に可視化されたなら、新聞記者が名刺を差し出すのをためらうのと同じように、刑事も取り調べ役になることを躊躇するのではないだろうか。
 いや違う、と思う人はそれでいい、くどいが。


 はからずも、今回は記者の側が可視化に一役買ったわけだが、こんなことが常態化して困るのは、ほかでもない他紙などの同業者ではないだろうか。
 例えばの話、警視庁が取調室の可視化に大きく踏み出したとしたら、いちばん困惑し、あるいは怒るのは、神奈川県警(の刑事)だったり、大阪府警(の刑事)だったりするのではなかろうか。
 それと同じ構造で、彼ら同業の他紙には、毎日に対して、そして取材データを流出させた記者に十字砲火を浴びせる必要があったのではないだろうか。


 うがち過ぎた見方だろうか?
 なら、いいんだけど。