だからぁ:東京新聞

『オオカミ熱湯死「殺人」か正当防衛か』


 2月4日、東京新聞の記事だ。


 『長野県上田市の上田第二中で、童話「三匹の子ブタ」を題材にした社会科の授業が行われた』そうで、2009年度中に開始される裁判員制度を視野に、『生徒に裁判を身近に感じてもらうための実践』だという。


 授業は、茨城県弁護士会が作成した教材をもとに進められ、『生徒は裁判制度について学んだ後、刑法に照らして子ブタの行為を議論』した。
 『子ブタが湯を沸かした鍋はあまりに大きく不自然。計画的な犯行だ』という意見や、『オオカミが出られないようにふたをしたのは防衛の程度を超える』との意見があり、生徒たちは、『「殺人罪」の結論を導き出し』、量刑は懲役3〜5年と”判決”したという。
 すごくおもしろい試みだと思うし、これだけの意見を言えるのは、日頃から意義ある授業が行われているんだろうと推測できて、うらやましいぐらいだ。
 が、問題は、記事の最後。


 この授業には、長野地裁の判事が同席していて、『裁判官に「実際なら(懲役)10年から15年のケース」と聞かされると、驚く声が上がった』のだそうだ。
 正直言って、裁判員制度の正体見たりの気持ちだ。「だから、ダメなんだ」と。


 中学生たちが刑法と突き合わせながら、殺人ではあるが情状酌量の余地が大きい、あるいは更正の可能性が高いと判断し、量刑を定めたであろうに、そこに「プロ」を自称する(あれ? 「公認された」?)人物が、「じっさいはね」などとしたり顔で論評し、なおかつ、その「プロ」の意見に反論するでもなく、驚いてしまう。
 その構図は、2年後の裁判員制度の中でありえることだと推測できないですか?


 殺人などの重要案件について、国家(に雇われた人)のみに判決権を与えている「野蛮」を正すことが、この制度の本質ではなかったか。そうでないなら、「素人」に出る幕はない。あっても、それは「茶番」と呼ぶ。
 だから、『相手の話を聞いて柔軟に考えを変えることも必要だが、自分の考えに根拠を持って簡単に迎合しない姿勢を身に付けることも重要』という、担任の栗林先生の言葉は、そのまま将来の裁判員に贈りたい。もちろん、自分にも。