歌人:毎日新聞

『熊本・ハンセン病療養所の歌人 畑野さんが第4歌集』


1月9日、毎日新聞の記事だ。


 『熊本県合志市の国立ハンセン病療養所菊池恵楓園に暮らす歌人、畑野むめさん(96)がこのほど、第4歌集「百日紅(さるすべり)」を自費出版した。』そうで、ご本人いわく『周りの協力で出せた”最後の歌集”』とのこと。


 恵楓園は、ハンセン病患者を完全隔離した時代、隔離政策の急先鋒にあった療養所。
 その恵楓園(の前身、九州療養所)に畑野さんが入所したのは1931年で、その後75年間を、この療養所で過ごしてきたという。
 <隔離壁高くとも空には及ばず七十五年を仰ぐ火の燃ゆる山>との句には、居住まいを正したくなる。


 その畑野さんが、『短歌にのめりこんだきっかけは、ハンセン病への差別と偏見が激しかった戦前、同園に通って気さくに交流した歌人、土屋文明(1890〜1990年)との出会いだった』という。しかし、その『指導は厳しかった』


 どのぐらい?
 『「作品を見せると”箸にも棒にもかからん”と言われることもしょっちゅう」と畑野さんは言う』ほどだ。


 現代に例えるなら、エボラ出血熱狂牛病に感染した人の句を切って捨てるような行為。
 こういうのは、「さすが明治男」と賞賛すべきか、はたまた「だから明治男は」と嘆息すべきか。
 しかし、畑野さんが、『分け隔てのない姿に親しみを感じた』というのは、偽らざる心境だろう。


 <母が子を子が母を殺す世にありて或はわれもその一人なり>と、現代の世相を歌う。
 そして、その思いを、『「私も堕胎させられましたから」と畑野さんはぽつり。』と語ったと、記者は書き留めている。